2010/8/1 棚田保全の目的はなに?

40年も前に住民がみな麓に降りてしまって、たくさんあった棚田も9年前に全滅してしまった、そんな棚田のひとつを復活しているわけですが、棚田ネットワーク に入った2004年当初から、誰に言っても無理だ、可能性が低すぎる、と本気にしてくれなかったのでした。これはつまり、もし実現できれば、棚田ネットでも前例のないことをやってるということで、棚田ネットの活動の幅が広がったとも言えるのではないかと、ときどき事務局に雑談がてら状況報告に行きます。なにか自分にも棚田ネットにも有益な面白い展開があるかもしれないので。本当にやり始めたら、興味津々、好意的に受け止めてもらえるようになったので、この認識はさほど外れてはいないでしょう。

先日、事務局で偶然、栃木・茂木プロジェクトのYさんとお会いでき、有意義な話ができました。ある補助金?をもらうのに、棚田復活事業の収支見込みなどが必要そうになったものの棚田米の販売だけでは赤字にならないのがやっとで、そもそもそれが主目的でもない。主目的は心安らぐ棚田の景観の復活と保全、ではそれができたとしてその価値はどう金額換算すればいいのだろう? という問題をぶつけてみたのでした。

難しい、復活と維持にかかるコストを創出価値と見なすぐらいしかないのではないか、という以上に話は進まず、しかしどうも話がかみ合わず、日本の食料自給率のグラフなど見せられる。Yさんの強い問題意識は日本の食料自給率の低さで、活動の目的はそれを高めること。いつでも食料自給率を上げられるように、まずは休耕田をすぐ田んぼに戻せるビオトープにしたい、と5〜6年前に実際に茂木の休耕田のビオトープ化を始めたのでした。ビオトープ化は成功し、一部は地主がさらに田んぼにまで戻して、ビオトープにすれば比較的容易に田んぼに戻せるということも証明されて主目的は達成され、今は田植えなどの体験会や生物観察会を催して都市住民に棚田に親しんでもらいすそ野を広げる活動を続けていて、主目的は終わってるのにまだやってるみたいな引け目もちょっとあったりするようでした。

主目的は違うけれども、自分もYさんの目的が無意味だとは全く思わない。それどころか、主目的が別な自分の活動でも結果的にそれも達成されるに越したことない。逆もしかり。棚田の効用がいろいろあるように目的も人それぞれでいろいろあっていい。自分の掲げた目的**だけ**が唯一絶対で他はどうでもいいなんていう人はあまりいない(たまにいて困るのだけど)。目的が人それぞれなことはまあ生物多様性みたいなもので好ましい不可欠なことなのでは? と言われてなるほどと納得。

目的が人それぞれなだけでなくて、現実の活動に拘泥してしまって目的 (理想とか実現イメージと言ってもいい) を持てない人も多いことを理解すべきだと最近会社の送別会で鋭く指摘されてそれもなるほどと思った。仲間との活動自体が楽しいから来る、というのは自分などには不純な参加動機のようにさえ思えるけれども、それはそれでいいというか、そのように飼い馴らされて50歳や60歳にもなってしまった社畜連中やムラ社会人間も多く存在するという事実として受け入れるべきなのでしょう。



上は、去年まで自分もよく行っていた新潟・十日町市(旧松之山町)の棚田「新田」の4年前の写真。あちこちに群生していたゼンマイは、去年の棚田サミットを機に地域振興派の独走で今や激減、景観保全派の離反を招く一因となったのでした。

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